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『教えて森山総長』その3


中山:最近森山さん、デジタルに?

森山:デジタル撮ってるよ、バンバン。(笑)

中山:もうあまりフィルムやってないんですか?

森山:やってないよ。

中山:そうなんですか!?

森山:うん。だから東京の写真集はデジタルで作るから、もう、今はフィルムは休み。

中山:そうなんですか。今、その東京中を撮り回ってるでしょう?

森山:まぁほら日々ゴタゴタ色々あるから。でも合間縫っちゃあっちゃこっちゃ撮ってる。撮ってるときが一番いいね。ゴタゴタ面倒くさいこと、どうでもいいこと全部忘れてさ。撮ってる時だけだよ。自分がある意味素になれるのは。

中山:どうなんですか?そのデジタルカメラを使ってみて。

森山:いやぁいっぱい撮れるようになるし。僕はほら、フィルムの時でも結構量撮ってるけど、もっと撮るようになったよね。

中山:(さらに)撮っちゃうんすか。

森山:なんかこう、チラっと見えるじゃん。マジマジともちろん見たりしないよね。チラッと見えるとさ、その見えた像に引きずられてまたパッパパッパ撮るから、全体の量は増えるよ。うん。

中馬:じゃあ今までのフィルムで撮ってる感覚とはまたちょっと違いますか?

森山:基本は一緒だけど、やっぱツールが違うからね。微妙にその日の状態が違うよね。でも基本は一緒だよ、うん。デジタルだから特に別の物が見えてくるわけじゃないしさ。まぁそういう事もあるけどね。

中山:森山さんにとって、別にフィルムだろうがデジタルだろうが、写真というものは全然変わらない?

森山:うん、まぁまぁまぁ単純に言えばそう言う事だよね。写ればいいでしょっていうかさ。

中山:そういう事を凄く森山さんの作品の中でも言ってられるよな気がします。僕ら見ていて、森山さんの写真を見て『いいなぁ』と思う事ってそういう事なのかなぁって思ったりもします。

森山:まぁほら、大事な事ったらさ、デジタルかアナログかなんて話じゃないじゃない。そんな事はどうでもいい事だよある意味。小説家がさ、万年筆で書いてたのがパソコンに移ったようなもんでさ、どっちがいいってわけじゃないじゃない。その程度の事じゃない。

中山:なんかハイテクな森山さんになってますね。

森山:でも俺は全然ハイテクじゃないよ、相変わらず(笑)。デジタル撮ったって、全然ハイテクにならんよ(笑)。

中山:でもああいうのって、パソコンとかやんないと?

森山:まぁ誰か雇ってやらせるし。今のところは、『デジタルカメラ』の編集長にやってもらって色々テストもね。モノクロームでどういう風に色々出来るかっていうさ、テストをしてもらってんだよ。

中山:森山さんの写真を見てて、自由に撮られてるなと、見ている側は勝手にそういう印象になるんですけども、そうじゃなくて、何か自分の中でルールといいますか、こだわりを持って撮られてるんですよね?

森山:うん。でもルールとかは別に無いけど。ただ『こだわり』てのは当然あるよね。当然、一人の人間が何かしらかを撮ろうとしてんだから。だからこだわりてのは色々あるよね。ルールなんて言ったらさ、まぁたくさん撮ろうとかさ、よく歩く事、そんな程度かな。ルールというよりモットーだけどさ。歩きましょうって。もちろん、そんないろいろ自由でやってるわけじゃないんだけどさ。実際はいろんな事が不自由なんだけどね、ただの一人の人間が、生きてる日常は決して色々自由じゃないじゃない。いろんな事があってね。いちいち不自由とも思わなくてもいいんだけど、でも自由だろうが不自由であろうが、撮らなきゃいけないから、そこから…。なんか人生論みたいになってきたな(笑)。人生論とかあんま好きじゃないからさぁ(笑)随分言ったけど。

中山:(笑)すいません。そんな事ばっかり質問しちゃって。

森山:何質問されても人生論にもってちゃうのはいけないね。(笑)

中山:森山さんは、写真の持つ力ってどういう風に捉えてられますか?

森山:いや、それは圧倒的な力を持ってるよね。他の表現のメディアよりは。それは他のジャンルの人はどう言うか知らんけど。でも俺は写真が一番ポテンシャルを持ってると思うね。それは表現の手段という事もあるけど、それはやっぱりコピーする機能を持ってるからさ。だからかなり、ポテンシャルはあるし、ストロングだと思うけどね。それはやっぱり信じてるよね。

中山:僕が思う写真の持つ力って、『伝える』っていうチカラが、写真の本質っていうか、写真は物を伝えるっていうパワーが凄すぎて、そこに振り回されてる部分もあったりして、難しいなって思っています。

森山:別に振り回されることないじゃん。つまり伝えるって言ったってさ、一枚の写真をいろんな人が見て、それぞれにそれぞれのメッセージが伝わるかもしれないよね。みんな違うわけだ、もしかしたら。まぁ一緒の部分もあると思うけど。でも、それはあなたが伝えたいメッセージを越えて、あるメッセージがあるわけだから。その部分が一番重要なんで、あなたがこうしてこう撮り、こう伝えましたよって言ったって、嘘かもしれないけど、『私はこう見ましたよ』て言われればさ、その両方の方がいいわけで。ある意味写真てのは実は、全然限定的ではないし、断定的でもないんだよね。

中山:はぁ、そうですよね。

森山:一枚の写真てのは、大袈裟に言えばね、世界を開示するよね。開き示すと言うか。でも開示はしてるけど、開示性は持ってるけど、その開示されたものを見る人はいろんな人だから。それぞれがそれぞれに見ていくから、それが開示なんだよね。だからいくら個人がこう思いましたって言ってもさ、それだけではないんだよ。そこが、写真の、不思議な、柔軟なとこだよね。柔軟というか、したたかなとこだね。

山:そういった、(撮った)自分と違ったところを、他の人(見る側)が捉える、伝わるってところが、森山さんは興味があるという、そこに意味があるわけですね。

森山:あると思う。だからその辺がやっぱり写真の最大のチャーミングなとこでさ。だから離れられないのよ。

中山:面白いですね。コントロールできないですもんね。

森山:だから、コントロール出来ないことはあたり前と思ってはじめないと、そんなもの。でも自分の表現したいものはやっぱりやっていけばいいわけで、でもその自分の表現を離れていくってことはいっぱいあるわけで、そういう可能性もあるわけだよね。写真には。

中山:考えたら、ふんだんにありますよね。

森山:うん。だからまぁさぁ、他のジャンルの、たとえば絵描きなら、いろいろ絵とか描いたりいろいろなことやってなさいと思うだけだよ(笑)。いいよねぇ、作ってれば。とかさ。

(『教えて森山総長』その4に続く)

更新日:2010年3月28日